感じ事・思い事・考え事ブログです。
二兎を逃がし中?のmixi 。
2011-12-18 (日)
せっかく呟いたので、こちらでも。
誰得?な、mixi現状考察です(^^;)

※冒頭のリンクは、長ったらしいので読まないで頂いて大丈夫です



ロゴ@ミ○○ィ



■TECH SE7EN : mixiはもはや「人」が軸のSNSではなくなりつつある
http://techse7en.com/archives/3718308.html


 ↑ “社会人になり交流関係が多彩になっていくにしたがって、
FacebookやTwitterに移行していっているのではないか”  … I agree!

 ◇

 Facebookの基本は、「いいね!の共有」では。
いいねをし合う体験や情報があって、初めて交流が生まれるSNS。

よって、外部の情報を取り込みながらのコミュニケーションはFB、
身内の閉じたコミュニケーション(プライバシー保証感あり)がmixi、という印象です。

 ◇

 FBのマネで始まったmixiチェックは、
mixi内の情報か/管理者が手間かけてボタン設置したWebページの情報

…しかチェックできず、URLの貼付・読込も不可。
mixi日記で引用しやすいのはmixiニュースのみ…という作り。

 ◇

 そのアットホーム感が支持を得てたのに、
2011年に入ってから実施したリアルタイムあしあと機能の廃止やmixiページ開始は
それに反するものだったから、既存ユーザーのmixi離れが加速した感があります。

といっても全くアクセスしなくなるわけじゃないからmixi側は、減ってないとは言い張れる。

 ◇

 あしあと廃止は、長年指摘されてきたプライバシー漏洩の問題
(→あしあとカウントタグを仕掛けられたWebサイトをmixiユーザーが訪れることで
IDを特定されてしまう問題) …が、もはや無視できなかった為。

 ◇

 mixiページの方は、FB・TWに攫われてる企業勢(発信者)を取り込む目的でのリリースだったが、
蓋を開けてみれば既存ユーザーは芸能人以外には冷ややかだった。

それを見て企業側も「どうやら販売促進に直接繋げることは難しい」
と判断して、利用を敬遠 ←イマココ。


…ミクシィ社、二兎を逃がし中…。

 ◇


…と、思ったのでありました。


事実確認はしておりませんことを
悪しからずご了承下さいませm(_ _)m


では。

『シブヤから遠く離れて』備忘録
2011-08-16 (火)
※下部に追記あり(2013年1月)※

2007大学公演

先日、名古屋への用事のついでに友人を滋賀へ送った帰り…の未明時間、
大学時代に上演した『シブヤから遠く離れて』を見る(聞く)。

演ってから4年経ち、一年に一度くらい簡単に見返しますが、
それでもその度に色々な発見があるから、この脚本はほんとに凄い。
ほとんど全ての発言や行動が、何かに紐付けられてます。

以下、今回の気付きのメモです!(順不同)

※恐縮ですが『シブヤ~』をご存知ない方には完全に意味不明な記事です
※田宮の空回りやナオヤとマリーの影響し合い、ナオヤの世界の変化と反転ぶり
…等の過去の気付きは、書く体力が無かったため省略しております


 ◇


ナオヤ「きっと、この部屋のことも嫌いになろうとしてる」
→部屋が意味してるのは、マリーにとっての最初の男性(or田宮or両方)。
マリーが言ってた「自分が部屋を守る/部屋が自分を守る」も暗喩

フナキ「ハンカチがこんな色だから、ぶどうの色と混ざっちまう」
→気持ちの誤解を意味?マリーへの想いを田宮への敵意ととられたことorその他のこと

ナオヤ「(ゼラニウムが)赤く光るんだ」
→冬を越すゼラニウム、全てを過去にしながら進んでいく象徴。
今日を終えたくないナオヤにとって殊更に怖く、見たくなかった存在。
ナオヤにとってケンイチが落ちたことは、まさにゼラニウム(明日)が落ちたこと

ケンイチ「いまが夜なのは!」
→ナオヤが「嫌いに」なって過去にしようとしてくれないから、
明日を迎えられないケンイチ→だから夜のまま

アオヤギ「こうやって生きていけってことだよ。関係ない、関係ない…」
→ケンイチの「お前なんか関係ねぇって言われてる感じ」に相関。
→看護婦やナオヤの寒い仕草も、「関係ない」意思が顕れた仕草

マリー「あれ持ってない?揉むだけであったかくなる…」 → 人類の知恵を求めてる
アオヤギの抱きしめ → 原始的な方法で支える(支えられる)
「明日への犠牲」「関係ない」を破って、ついに
アオヤギ(原始的な方法)がマリーとでんでんむしになり、感動。
そしてその幸せが拳銃(人類の知恵)で断たれる。切なすぎ

アオヤギ「気付けばいいんだよ"これは夢です"って!
"夢の中だから、走ろうとしても無駄ですよ"って!!」
→ナオヤが見ている"夢"(ケンイチやラストのマリー)に対する痛切な指摘。
→他のヒントは、気付かれても気付かれなくても良いという作者のスタンスが
感じられる描かれ方だが、殊これに関してはトシミの
「あなたがいやらしいのは夢を見ているからよ!」で、気付かせようとされてた印象

いままで「ナオヤ(夢)→すすき」「マリー(明日)→ウェルテル」だと思ってたけど、違った。
ナオヤの中でマリー的な思いが頭をもたげた時はウェルテルが気に掛かるし
マリーがナオヤ的な思いに囚われた時は、すすき(おばあさん)が気に掛かる。
そういえば、ナオヤも最初「あそこにおばあさんが…」と言ってた

「たまたまよ」「交通事故」「フナキっていう名字の奴が…」
→全て同じ要素を伝えてる。困惑する、肯定する、否定する、ナオヤの変遷
「たまたま」が掛かっている先は、意味するものは何だろう?

四幕のナオヤとフナキの掛け合いで分かったこと
→シブヤにおける「現前化しない"愛"の物語」は、ナオヤとマリーだけじゃなかった。
マリーはもちろんフナキもケンイチもアオヤギもナオヤもトシミもフクダも父も田宮もケンイチ家族も、
全ての思いが現前化しないまま空回りし続けて、誰も望まなかった結果に繋がってる

→トシミ「死について語ることは夢を見ることです」「不倫の元祖よ」
そうだ、この話…!表向きのストーリーの裏に、必ず不倫(現前化しない愛)がある!
作品の文句で提示していながら、
ほとんど全くそのことに気付かせない…深!凄すぎる!!


 ◇


登場人物を高気圧と低気圧に分け、
その為に発生した雲がトシミだったと推察した時の衝撃と同じくらい、
最後の気付きは衝撃だった。

この脚本、道みたい。
結末としてのゴールはきちんと描かれてるが、
ただ見るだけだと何の意味があるかも分からない、一直線のゴール。
でも実は物凄い数の脇道やルートがある…らしい、ということだけ
随所で示されてて、どのルートでゴールへ来たか、どんな寄り道をしたかetcによって、
感想も全然違ってきそう。=どんな見方をしたか、観客に委ねられてる

演ってる方さえ分からないでやってるのに、
これを一度見て読み取れとか、超無理。理解することを求められてない。
分からなくても筋が通ってることは伝わるんだな。分からなさが心地良い。


 ◇


まだまだ分からないところもあるし、
分からないことが分からないところもいっぱいある。

・ケンイチ→ナオヤの二千円と、アオヤギ→フクダの二千円の関係は
・マリーが「どうして私がキミなの?」と突っかかる意味は。
フナキの「彼女」etc、呼び方にまつわる他のシーンと関連?
・ぶどうの意味はもっと深そう。
フナキの発言からも、ラストのマリーが持ってくることからも

などなど。

上演時に省略してた黒服パートを読み込んだり、
若きウェルテルの悩みを読むことでも、分かることが絶対あるんだろうなぁ。
時間をおいて、また観る時が楽しみです。

二宮和也だから云々とかでなく、やはり元舞台を観たい。
蜷川幸雄演出は、どういう解釈で何を前面に出したのかを知りたいです。
そして万が一脚本の岩松了に会える機会なんてあったら、是非聞きたい…。

本家公演以外でここまでシブヤを演り切った団体は、きっと他に無いはず。
以上、備忘録でした。


シブヤ本家公演ポスター Wikipedia 『シブヤから遠く離れて』

シブヤ脚本 Amazon 『シブヤから遠く離れて』



↓追記(2013年1月24日)@でんでんむしの理由 からの↓

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