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お金の価値(トリコ)
2011-07-13 (水)
あるところに、たった一坪の土地を、何億円積まれても誰にも売ろうとしない頑固なお爺さんがいました。そのお爺さんが大切にしていたのは、亡きお婆さんとの思い出であり、一坪の土地は、それを意味する唯一のものでした。余命も少ない彼にとっては、お金はもはや何の価値も無いどころか、その土地を狙う輩によって積まれれば積まれるほど、紙屑に見える存在となっていたようです。


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一週間ほど前の週刊少年ジャンプで漫画『トリコ』を読んで、「これは深い…!」と思った話です。お金は元々「自分が欲しい何かと交換出来る」から価値のあるものとして市民権を得たはずなので、その役割を果たせなくなった(=欲しいものと交換出来ない)状況では、お金に出来ることは何も無いと。お爺さんにとって必要なものは、既に持っている一坪の土地(=思い出)だけだったので、お金の出番はどこにも無かったのだと分かります。


この(お金が役に立たない)状況は、この漫画のお爺さんだけにしか当てはまらないケースなのだろうか?と考えてみる。そうすると現実でも、あてはまる場面が多々ありそうです。

余命が無いというのは、食事や水道光熱その他、生活にまつわる費用がいらないことを意味します。一個人の出費としては恐らくいちばん不透明な「医療費」も、治療や延命を望まないのであれば、備える必要が無いものとなります。そうなった時、お金は必要か?と考えると…。必要無いのかもしれませんね。

もちろん、生活自体には不要であっても「孫に会いたい」「遺産を残してあげたい」「先祖の供養には必ずお花を…」等、お金が欲しい場面は多々あるかもしれませんが。とはいえ、それをどれだけ欲するかは、全て個々人の裁量に委ねられています。


お金に出来ることって、要するに「限られた物やサービスとの"交換"」なんですよね。その交換も、あくまで信頼や物々交換の代替として登場したものなので、「お金でなければ手に入らないもの」の方が、探すのは難しいかも。


お金が介在しない社会は、生きる術として皆が関わり合うことになるから、煩わしくも温かい(?)と思います。
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